基本的に怠Diary

主に日常と作ったものを書いていく。

9/28 日清日露戦争 読書メモ2

更新しようかと思ったけどやめた。

1890年代の政治状況が意外と複雑

第二回総選挙(1892年)の結果を見ると、立憲改進党VS自由党の構図で、自由党が勝利したものの、立憲改進党過半数には届かなかったものの44%近い支持を得ていた。

つまり、民党勢力が圧倒的に強かったということ。藩閥政府からすれば、議会で多数を握られている状況。こんな中でよく戦争なんて決断できたなと思う。

山県有朋の戦略眼がヤバすぎる

この時期の山県有朋の戦略観が本当にすごい。

ロシアがシベリア鉄道を建設し始めると(1891年)、山県は早い段階で「ロシアが戦争を起こすことをほぼ確信」する。さらに驚くのは、彼のビジョンの射程の長さ。

「アジアの盟主となるために日清戦争は前座であり、最終的には英仏露と戦をする必要がある」

正直、当時の日本の国力を考えると無謀すぎる気もするけど、結果的に的中してるから「先見の明があった」ことになってる。

シベリア鉄道の真の脅威

ロシアがシベリア鉄道を作る背景には、露仏で条約を結んで金を借りるという動きがあった。山県はこれを警戒していたが、その理由が面白い。

「この鉄道ができると少なくともアジアだけ見ても物流の効率化が著しく進むからだ。ロシアはこのとき満州を狙っていたとされているため、その目標に大きな貢献をするはずだ」

これ、単純な軍事的脅威じゃないんですよね。

19世紀版プラットフォーム戦略

読売新聞が社説で「シベリア鉄道が通ればウラジオストクが東洋一の港になる」と警鐘を鳴らしていたのも納得。

従来のヨーロッパ→極東ルート(海路約45日)が陸路約10日に短縮される。イギリスなどが輸出入している茶葉なども、シベリア鉄道を用いたほうが大量かつ確実かつ早い。少なくとも船よりはよいはず。

これって、App StoreやPlay Storeと近い発想ですよね。物流を制することでその仲介手数料で莫大な利益を得る。19世紀版のプラットフォーム独占戦略。

読売新聞は対抗策として関西の鉄道網整備を主張していた。全国じゃなくて関西に特化していたのも戦略的。

各国の思惑がバラバラで面白い

イギリス:1890-91年に日本と条約を結ぶ。これはロシアに対する危機感からだろう。

フランス:なぜか何もしない。アジアは知らん?でも東南アジアはフランスが支配していたような...。単純にバカなのか?

ロシア:実は軍事的脅威というより、イギリスから茶葉などの貿易の利益を掠め取ることも大きな目標だったんじゃないか。イギリスは遅かれ早かれ気がついてそう。

山県の致命的な盲点

ここで問題なのは、山県・青木(外相)が経済的な強みにはあまり関心がなかったこと。最終的な軍事にしか目がいってなさそう。

ロシアの本当の狙いが「イギリスから茶葉などの貿易の利益を掠め取ること」だったとしたら、軍事力だけで対抗するのは的外れかもしれない。

経済戦争の視点が完全に抜けてるんですよね。

結局、誰が正しかったのか

山県の軍事偏重戦略は短期的には成功した。日露戦争に勝ったから。

でも長期的に見ると、経済基盤を軽視したツケは大きかったかも。戦争に勝っても、その後の満州経営や朝鮮統治で苦労したのは、この時期の戦略的視野の狭さが影響しているんじゃないか。

もしかすると、日本が英国の「経済パートナー」として茶葉貿易に参入し、ロシアのプラットフォーム支配に経済的に対抗する道もあったのでは?

まとめ

この時代の地政学は、軍事力だけでは語れない複雑さがある。山県の先見性は確かにすごいけど、経済戦争の視点が欠けていたのは大きな盲点だったと思う。

現代の米中対立でも、軍事力と経済力のバランスが重要なのと同じ。歴史を学ぶ意味って、こういう構造的な問題を理解することなんでしょうね。

続きも読んでいるので、また気づいたことがあったらメモします。